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綾波レイと渚カヲルは「同じヒト」。

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綾波レイと渚カヲルは「同じヒト」。

ヒデオ発売に際して第弐拾四話に追加された映像で、
ゼーレがカヲルに語ったところによれば、
カヲルは。サルベージされたアダムの魂を持っており、

その外見は人間ではあっても、
その魂ゆえに
「使徒」と呼ぶき存在なのだということがうなずけるようになっている。

そして、第三使徒から第一六使徒までは、
いずれも、第一使徒アダムから派生した生命体である故、

アダムと同様に「使徒」と呼ばれ、
リリスから派生した生命体であるヒト(人)とは、
決定的に異質で、両立しえない存在であるというのが、
この物語の世界の前提となっているようだ。

一方、綾波レイは、リリスの魂を持っており、
そういう意味では、本来の意味での「人間」ではないが、

彼女の「人間」との関係は、ちようど、
カヲルの他の使徒との関係と同じであり、

それ故、本来の人間と同様に、
「使徒」に対して、
「ヒト(人)」であると言ってもよいということになる。

それを裏付けるかのように、第26話「まごころを、君に」で、
巨大化したリリス(レイ)が、ターミナルドグマから上昇してきた時、

発令所の日向マコトは、
「パターン青」というマギの分析にもかかわらず
「使徒?」と問う伊吹マヤに、
「違う。ヒト、人間です!」と大声で答えるというシーンがある。

リリスが「使徒」ではなく「ヒト」と認識されるというのは、
今述ベたことから、ある意味では、当然である。

このシーンは、また、われわれに、新たな謎を突きつけるものでもある。
なぜなら、これまで、ネルフでは、
正体不明の物体を「使徒」とみなすかどうかについて、
コンピユーター、マギの
「分析パターン青」を、最終的な判断基準としてきたようであり、

それが、実は、必ずも決定的な基準と言えないことが
土壇場で判明したからには、
この「パターン青」というのが、
一体何だったのかという問題が出現し、

同時に、問題のシーンで、マコトが、
「パターン青」という分析結果にもかかわらず

リリスを「ヒト、人間」と判断したのは
一体どのような根拠にもとづくものだったのか
という間題も出てくるからである。

このうち、後者の間題、すなわち、
マコトが巨大リリスを「ヒト」と判定した根拠は、
結論から言うと、彼の「勘」であって、
マギの判断ではないだろう。

なぜなら、もし、マギが、
「パターン青」以上に信頼できる
判別のための指標を提示しうるならば、

彼らネルフのメンバーは、以前から、
それを利用していて然るべきなのに、
実際には、そういうことはなく、

例えば、第弐袷参話では、第六使徒に対して、マギの分析が
「パターン、青からオレンジヘ周期的に移行」し、
「回答不能」という状態になったのである。

また、カヲルの例から、使徒であるかどうかの判定は、
外見からは不可能であり、

もはや、聞題のシーンでのマコトの判断は、
「勘」以外の何物でもないのは明白である。

が、それにしては、ここでのマコトの報告は
極めて、自信に満ちている。

從来なら「バターン青」こそ、
使徒の証明あり、
かつて、これが崩された事例はなかったにもかかわらずである。

この理由は何であろうか。
考えられる理由の第一は、
リリスが、「単なる」ヒトではなく、
「ヒト」の根源たる生命体であったために

第八話で、第六使徒が第一使徒アダムの再生された肉体を感知して、
それを運ぶ国連車の戦艦と衝突する結果となったように、

あらゆる人々に、リリスに対する
持別な反応を起こす素養が備わっているという考えである。

が、筆者は、その魂たるレイが、
本来の人間たちとの「絆」によって、
すでに本当の「ヒト」になっているということも、
この事例には関係しているのではないかと考えたい。

つまり、「ヒト、人間」という概念は、
リリスおよび、そこから派生した生命体という
先天的な要素だけでなく、

他人との「絆」によって、
はじめて作られる後天的要素でもあるという、
この作品の根幹にかかわるー大テーマに、
またしても直結する演出のひとつが、

この、マコトの「ヒト、人間です!」
という叫びなのではないかと、
筆者は考えている。

劇場版完結編に対して、
その番外編とも言えるテレビ版の第弐袷伍話で、
シンジが、何故、カヲルを殺したのかという間題に関して、

レイが「私と同じヒトだったのに」と、問いつめて、
「違う!使徒だったんだ!」と反論されるシーンがあり、

また、「わたしは誰」という問いに対して、
もうひとりのレイから、
「あなたは、偽りの魂を、
碇ゲンドウという人間によって造られたヒトなのよ」
「人のマネをしている偽りの物体に過ぎないのよ」と言われて、
「私はこれまでの時間と、
他の人達とのつながりによって、私になったの」
と反論する場面もある。

つまり、その誕生の経緯や、
魂の由来とは無関係に、
他人との「絆」によってこそ、
「人」は「人」たりうるのだと、
レイは主張しており、

この限りにおいては、使徒であった力ヲルでさえ、
シンジとの「絆」ゆえに、
「人」と呼びうるという認識である。

この物語では、アダム由来の使徒が、
人間との絆によって、
人間となり、人間界で、從來の人聞と共存する
というような妥協は、あり得ない。

もし、そのようなことをしたら、
すべては、絵空事になってしまったであろうし、

また、平和を唱える「社会派アニメ」の
同類になってしまったことであろう。
この物諸の「現実」は、それほど甘くはない。

第弐拾弐話でアスカの、心理を探った第一五使徒や、
第弐拾参話でレイとのコンタクトを試みた第一六使徒は、
明らかに、人間の、心に興味を示し、
彼らとの交感を望んでいたが、
結局は、エヴアに殲滅され、

シンジたちが、「死すべき存在ではない」と悟ったカヲルは、
彼らの「未来」のために、
自らの死を望む以外に道はなかった。

この物語では、使徒は、
コミュニケーションの困難の象徴であり、
それは、安易な妥協では、
決して克服しうるものではないため、

物語の中では、ついに、
使徒(シト)は、人(ヒト)に近いものでありながら、そして、
その交感の可能性が示唆されながらも、
人間世界とは両立しえなかったのである。

だが、そういう「使徒」に対してさえ、作者は、
すベての使徒が減んだ最終局面において、

使徒とは、本当に、人間と相容れない存在だったのかという疑間を、
スクリーンに映し出したかったのではないだろうか。

そして、これこそ、「人間」性の由来が、
魂の由来とは別であるということを
強調する演出が意味するものではないだろうか。

とすれば、繰り返された「パターン青」というマギの判定は、
「使徒」を識別するための
コンピユーターの限界そのものの象徽であり、

巨大リリス登場のシーンで、
その信頼性を否定されるためにこそ
準備されてきた概念であるとさえ思われる。

エヴアに秉る以外には
「何もない」と言っていたレイは、
シンジたちとの「絆」によって、
自我を作リ、

最終的にはゲンドウに造反したあげく、
ついに、リリスの肉体に帰還して

「パターン青」と分析されてさえ、なお、マコトをして
「ヒト、人間です」と言わしめるまでに変貌したのだ。

このレイの軌跡こそ、
「エヴア」の物語の心棒とも言える、
一本の明解な時間軸である。

このことは、すでに、本書の中では、
何度も指摘してきたが、

重要な「謎」の解明が、
ことごとくこのテーマに直結しているということこそ、
この問題の重要性の証明なのである。
引用元
エヴァンゲリオン解読 新版―そして夢の続き

((正解するカド Shindou x Saraka kiss scene)

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