水泳とは順番ではなく、 「ほぼ同時」に全身が動いて進むものなのである。
水泳とは順番ではなく、
「ほぼ同時」に全身が動いて進むものなのである。
「同時」ならわかるが、
「ほぼ同時」というニュアンスを体で表現するのは難しい。
「何してるんですか。さっさと泳いで下さい」
桂コーチが厳しい口調で声をかけた。
前回は「脇を伸ばせ」と言ったのに、
今日は「腰を使って泳げ」と言っている。
「あの、コーチ。言うことが毎回違うんで、少し混乱しています。」
正直に訴えると、彼女が答えた。
「人は同じ泳ぎを二回できないんです。
さっきの泳ぎと今の泳ぎは違う。だから、それでいいんです。」
「あれこれ言われても、わかんなくなるわよね」
私を慰めるように、鈴木さんが声をかけてきた。
「そうなんです。わけがわからなくなっちゃいます。
どうすれぱいいんでしようかね」
「私はいつも訓練しているの」
「どうやってですか?」
「台所で、手で料理しながら、足は足踏み。
耳からラジオを聞きながら、全然関係のない唄を歌うの。
それで頭の中ではまったく別のことを考えている」
「そんなこと一度にできるんですか」
「できるわよ」
聖徳太子だってできた、と彼女は言う。
「もっと簡単な方法はないでしようか」
「そうね。例えば、車を運転している時、
赤信号になったら、両手でひとりじゃんけんをする。
右手が左手にいつも勝つように」
「そんなことしてるんですか」
「そう。そうやって脳を活性化させるのよ」
彼女は足の指も使って四人でじやんけんもできるらしい。
真似してみようとしたが、
最初に何を出せばよいのかわからず、
両手を拳にしたまま私は固まった。
「何してんですか!早く行って下さい!」
桂コーチが叫んだ。
鮮新世のオスザルに戻った心境で
私は壁を蹴った。
彼らもおそらく
「なんで、こんな目に遭うのだろうか?」
と悩んだに違いない。
きっとオスザルはメスザルや水の圧迫感に呆然とし、
そこで知らぬ間に直立歩行を始めたのではあるまいか。
ちようど今の私のように。
桂コーチのつぶやき。わざと言い方を変えているんです。
高橋さん「はい、わかりました」って言い過ぎだと思うんです。
本当は、わかってないでしょ。
泳ぎ方見てて、わかります。
わかっていなければ、そう言えばいいのに。
「桂コーチは毎回言うことが変わる」って皆さんおっしゃいますよね。
「コーチがまた進化した」って。
あれはね、「変わる」んじゃなくて、
言い方をわざと「変えている」んです。
皆さんの進み具合を判断して、
同じことをさせるにも、
言い方を日によって変えると、
より皆さんが「進歩」するからなんです。
何度同じことを言ってもわからない人には違う言い方をする。
一つの動作について、十通りくらいの表現はあります。
引用元
はい、泳げません
⇒常識や間違いを一つ一つ排除し、
水泳上達に効果のあるものだけを積み重ね、
10年という年月をかけて完成したのがこの方法なのです。
(「キングコング」怪獣から逃げ回るナオミワッツ。)
こちらからもお届けしてます。
⇒早く始めて慣れることにこだわるより、
泳げるようになるポイントは他にあることが分かってきました。
(「キングコング 」コングが怪獣と戦って、ナオミワッツを助けて、コングに惚れちゃう!)